今回のPOKEMON GOの成功に関して、やっとこの日が来たかと云う思いがある。
配信が遅れたとか、そう云うことではない。
今迄のスマホのゲームと云えば、カード集め、紙芝居、落ちげー等にキャラクターを単に足して広告を打ってゲームに関しては奥行きの無い片手間に出来るものであった。
その上、ゲーム自体をある意味そうしたものである様に思わせる世界を作ってしまった。
しかし、ココに今迄のゲームの名を騙った集金ツールとは違う、スマートフォンならではのゲームがやっと登場したのだ。
カメラ機能でリアルタイム画面合成を行い、実世界にポケモンが現れる。
GPS機能でポケモンの位置やポケストップ、ジムの位置が実世界の場所にオーバーラップする。
通信機能によって、ポケモン同士をバトルさせられる。
そして、プレイヤーがどれだけ歩いたかが経験地やタマゴの孵化の条件になる。
こうした、スマートフォンの各種の機能を有機的にまとめあげたゲームシステムはプレイヤーに本当の意味でスマートフォンのゲームで遊べる事の楽しさを伝える事が出来る。
かと云って、そうしたシステムさえ在ればイイのか? と、云えば、そうでは無い。
POKEMON GOの前身にあたるイングレスは、ポケモン等は発生しないがGPSとカメラのVR的なシステムを駆使し画期的なゲームだった。
ゲーム自体は、イングレスのゲーム内で作ったチームに参加し陣地を取っていく内容で、それも確かに面白いのだが一般に対する訴求力は無かったと云えるだろう。
しかし、イングレスが在ったからこそPOKEMON GOはある。
それは、システム的な事だけでは無く、実際のマップに配置されるものに関しても、イングレスのプレイヤーが作った陣地がPOKEMON GOのポケストップにそのまま使われている事でも判る。
左がイングレスのもの、右がPOKEMON GOのものだ、登録された名称や画像等も同じデータである事が判る。 このイングレスのシステムにポケモンの世界を融合させる事が成功の大きな鍵なのだが、イングレスでは発生しないポケモンを発生させるアルゴリズムに大きな課題が在ったのも事実だ。
イングレスは固定の場所が陣地に登録されており移動しない。
つまり、問題の歩きスマホと云う課題は無いのだ。
ポケモンを融合させる為には作る前から、この問題に関して開発者たちは判っていた筈で、実質的にも大きな配慮を持って開発を行ってきた事は想像に難くない。
しかし、問題はソフトの開発だけで解決が出来ない部分が在る事だ。
まず、ベースとなっているグーグルマップはいつでも最新か?
道幅や公園などの形は同じか?
外環自動車道の工事の行われている我が家の近くでは、工事の進行によって横切る為の道がしばしば変わるのだが、POKEMON GOの地図では、変更された道は異なる道が表示されていた。
道幅や形状は、データを無駄に大きくしない為に簡略化されている。基本的に直線で繋げられている。
更に、GPSは最近制度は良くなったと云われるが、実際にGPS衛星を幾つ測位しているか等で制度は大幅に変化する。
以上の事から云えるのは、開発者がどうがんばっても、多少変な場所にポケモンが発生する可能性はなくす事ができないと云うことだ。
そして、ポケモンには属性と云うものがあり、火ポケモン、水ポケモン、土ポケモン、空ポケモン等と云う、ポケモンの生息する場所が設定されている。
通常のゲームであれば、火口近辺に火ポケモンを発生させ、釣りをする事で水ポケモンを発生させる事ができるが、実世界では、そう云う訳には行かない。
しかし、山の上の展望施設に空ポケモンを配置したり、池の側に水ポケモンを配置する事でポケモンの世界観と現実を繋ごうと努力はするが、マップの情報や位置の情報は前に云った通り正確とは云えない。
その為にポケモンが発生するのはプレイヤーのすぐ近くに発生させている。
(コレはふしぎなおこうと云うアイテムを使っている。)
かと云っても、ポケモンが居そうな場所として木の葉が舞い上がる演出が在るのだが、道を挟んだ公園内でそれを安全に発生させたとしても、道を渡っていないプレイヤーにとっては、その場所にすぐに駆けつけたいと思うあまりに道路に飛び出す可能性等は残るし、人が沢山居る場所では急激に流れを変えて動くプレイヤーが居なくなるとは思えない。
こうした問題は、ほぼプレイヤー側に在る問題と云えるが、だからと云って開発は放置する事はできない問題と云えるだろう。
通常の場合、開発者がマップを見ながらポケモンを配置する場所は限られており、グーグルマップの情報をプログラムが読み込みこの場所は公園だとか川だとか認識して、公園の外周部から内側xメートルの場所に発生させるとか、ポケストップの周辺3メートル内に発生させる様なアルゴリズムになっていなければ、世界中の色々な場所でポケモンを発生させる事は不可能なのだ。
任天堂は、良質のソフトを作り、良質さゆえに売れると云う事をまるで哲学で在るかの様に行なってきた唯一無二の存在である。
そんな会社が在る事だけでも誇らしく感じる。
しかし、「売れたものが良質である。」と、短絡的に考えるのが資本主義社会の現実だ。
そう考える事があってもそれは自由だ、だが、その繰り返しで 新しいイノベーションは起りにくくなり、同じ様なもののバージョン換えの様な安易なものを送りこまれるユーザーは、もうウンザリしている。
そうしたメーカーは、この成功に乗り似た様なゲームを出すかもしれない。
しかし、ストリートファイターⅡの本質を知る数多くのプレイヤーたちは、単に似せてもダメだと云う事を知っている。
ところが経営者がそれを知っているとは云い難いし、実際にマーケッターや経営者は本質を見抜く事が出来ずに、似て非なる馬鹿げた商品を作り続けさせてきた事も事実だ。
良質なモノを生み出し、それを沢山の人間と共有できる画期的なソフトが誕生したのだ。
こうしたハードウエアを開発したアップルの故スティーブジョブスも、志半ばに生涯を閉じた故岩田社長も、この瞬間を待ち望んでいたに違いない。
この良質なソフトが、これからのソフトの質を牽引しユーザーたちを楽しませ、新しいゲームの世界を切り開いて行く原動力になる事を祈っている。
そして更に事故などが起りづらくなる様なシステムの構築を引き続き期待したい。
http://www.pokemongo.jp/